プチ同窓会で大阪行き。2023.1.8(日)・9(月) その1

大学時代の同回生数名とのプチ同窓会に出席するため、大阪まで行ってきた。

あ、日本語表記じゃない画面だった(;^ω^) しかもブレブレ(;^ω^)

俺含めて5名(内1名は一つ後輩)という小規模なんで、同窓会というよりただの飲み会か(;^ω^)

俺は大学時代の4年間、大学寮に住んでいたのだが、今回の参加者はその寮で4年間を共に過ごした連中だ。後輩1名は、同回生(関西では〇年生とは言わず、〇回生と呼ぶ)と同室だった奴だ。

近鉄特急ひのとりに初乗りだ。

住んでいた寮は小洒落た建造物ではなく、築30年の木造モルタル平屋建て(以下S寮)。大学にはもう一つ寮があり、そちらの方は鉄筋コンクリート5階建て(以下H寮)だったので、入学案内に同封されていた入寮希望票には、迷わずH寮に印を付けたのだが・・。

14時名古屋発難波行特急。2時間強で到着する。

入寮希望者については、大学入学前に寮自治会(寮生だけの委員会がある)の面接があり、色々質問された。詳細は記憶にないが、唯一覚えていることがある。

○○さん(俺)はこちらの寮(S寮)の方がいいと思うけどなぁ~。

と、面接をした委員会の一人に言われたことだ。

はい、プレミアム席をネット予約しました。特急券プラス900円也。階段を上がって特別扱いっすねヽ(^o^)丿

何を根拠に、俺の何を見てS寮の方が「いいですよ」とのたまったのかは知らないが、入寮後しばらくして何人かの先輩に尋ねてみたところ、

そんなんオマエはこっち(S寮)に決まってるやん!

としか言われなかった (-_-;)。

結局卒業するまでH寮の内情は分からず仕舞いだったが、S寮での生活は初っ端から凄まじかった。

入寮初日から「オリエンテーション」が行われたのだが、要は軍隊式の「しごき」。大学の学歌や応援歌を大声で歌わされたり、挨拶指導と称された大声発声をやらされたりした。大声で罵倒されるだけではなく、竹刀を持った上回生に小突かれたりした。

憧れたキャンパスライフとは全く異次元の世界で、それは俺以外の新入寮生全員が感じたことだ。今現在なら大問題だろうな(;^ω^)。というか、立派な刑事事件だよな・・。

それ以外にも軍隊式オリエンテーションの項目は色々あったが、ちょっと記憶に残っていない。ただ、そのオリエンテーション期間中に退寮する連中がいたことは覚えている。しかもその後も退寮する新入生は増え、1回生が終わる頃には40名近くいた1回生が30名弱にまで減ったんじゃないかな。

各部屋は狭い二段ベッドが二つ設置され、すべてが4人部屋。それよりも最悪だったのは、4・3・2・1回生の相部屋だったこと。同回生での4人相部屋ならまだ傷のなめ合いもできるが、上から下への年功序列相部屋では24時間気を休めることもできなかった。

軍隊式オリエンテーションがあるのなら、寮生活全般で上下関係が幅を利かすのは至極当然のことだ。どの部屋も1回生は奴隷。昼夜を問わずあれしろこれしろの連続だった。

深夜の牛丼やほか弁、マック、ケンタッキーの買い出しはマジ鬱陶しかったな・・。もちろん買いに行かされた奴の分はおごってくれたけどね。

最初の夏休みにバイトしてオートバイ(下画像)を購入してからは、他の部屋の同回生が先輩から言われた買い出しも頼まれた記憶がある。ただし、俺に頼んできた同回生は、『何で○○(俺)に頼むんや!お前に行け言うたんじゃ!』と竹刀でシバかれてたけどね(;^ω^) 。

スズキ インパルス GSX400FS 懐かしいぃ~💛

礼儀作法も徹底的に仕込まれたな。

寮内はもとより、大学構内で先輩に出会った場合も、「大声で」おはようございます!、こんにちは!、こんばんは!を言わなければならない。もちろん周囲からは注目の的。恥ずかしかったな・・。

寮内の各部屋や食堂、風呂、トイレに入る前には、

○○号室の○○です!失礼します!

と大声で言わなければならない。

寮内や大学構内で挨拶をしなかったり、しても声が小さかったりした場合にはその晩先輩の部屋に呼ばれ、説教されたり殴られたりした。幸いにも俺は上回生たちから一目置かれていたようで(後日同回生談。単に顔が強面だから?)、滅多なことでシバかれるようなことはなかった。記憶にあるのは2回かな。その内の1回は、翌朝俺を殴った(蹴った?)空手部の先輩が詫びを入れてきたからね。

寮内で一番幅を利かせていた大学応援団の副団長やその友人たちと一緒に、泊りがけのバイトに行ったことも効いていたのかな。バイトの宿泊先では、バイト先の正社員たちと共に毎晩宴会をし、神戸の現場から阪急電車に乗って京都の祇園祭に行ったこともあったな。正社員の中には前科者や元暴走族もいて、毎晩車やオートバイの話で盛り上がった記憶がある。

まあ、副団長の先輩は三重県四日市市の出身で、志摩市出身の俺と同県人ということも大きかったのかもしれない。俺にはいつも「なんやお前、イナカやないか(笑)」ってのたまってたけどね(;^ω^) 。

16時03分、鶴橋着。うーん、いかにも鶴橋って風情だ(^^ゞ
bluesの街とでも言いましょうか・・。憂歌団のメンバーの出身地でもあるんだよね🎸

大学4年間の思い出を今回の記事に収めることは到底無理なのだが、同様に、何十年ぶりかに訪れる大阪の街に思いを馳せるだけでも、ひのとりで移動する2時間の乗車時間では全く足りない。

そうそう、俺がインパルスを買って寮の駐輪場に入れていたら、2つ上の先輩の部屋に呼ばれて説教されたこともあったな。

1回生は駐輪場に入れるな!

16時08分、もう難波着。車内の照明がこんな風になります。洒落た演出だね。

もちろん反発したよ(寮内では先輩に反抗することは御法度だったけど)。

駐輪スペースがあるのに何で駐輪したらダメなのか、ってね。そうしたらその先輩、限りあるスペースだから上回生の単車のために空けておけ、とのたまった。

そんな文言は寮則(寮の規則)のどこにも明記されていないし、駐輪場に「先輩のために空けておけ」なんて張り紙もないぞ、って俺が言うと、「普通それが礼儀」だとか、「単車乗りならそれぐらい理解しろ」とか精神論できやがった(それでも理系学部か?)。

おお、大学以来の近鉄難波駅に着だ。

じゃあ雨降りで帰ってきて駐輪場が空いていても、上回生様のために俺の単車は雨ざらしになるのか、ってさらに言うと、「そうだ」と返してきた。

自分の単車でも他人の単車でも、雨ざらしになっている単車を見て平気でいられるような奴は、

単車乗りじゃねぇよ(低い声で)。

そう俺が言うと、その先輩、しばらく黙っちゃった(;^ω^) 。

結局「もうエエ!出てけ!」って言われて(負けを認めたんだよね(笑))その先輩の部屋を後にしたけど、当然俺は継続して駐輪場にとめていた。しかしその先輩は根っからの性悪なのか、俺のインパルスが駐輪場に入っていると、わざわざ引きずり出していたようだった Σ(゚Д゚;≡;゚д゚) 

まあ、それ以降呼び出しもなかったし、俺も一々文句は言いに行かなかったけどね。

さあ、難波からは地下鉄でっせ、旦那。大阪メトロっすね。

ただ、前述の先輩とのやり取りは旧態依然とした上下関係がはびこる寮内で物議をかもしたらしい(1回生が3回生(しかも2浪)に反抗)。

賛否両論だったらしいけど、俺に説教した上回生は寮内でも嫌われていたので、俺に賛同する寮生が大半だったとか。

ちなみに俺の同室の先輩2名からは、「お前の言うことは正論やけど、もうちょっと先輩を立てることもせなあかんで」(3回生)とか、「それにしてもお前やりよるな(4回生)」なんて言われたな・・。っていうか・・

どっちやねん!

ということで、その2へ続く(@^^)/~~~

kz-blues

ハーレーやオフ車で気ままに走っていれば、気分上々のオッチャンです。ギター(エレキ、アコースティック)も弾くし、革細工もやる。自転車(ジオス・スパジオ)も早朝トレーニングで乗っているよ。1分1秒でもハッピーに過ごせたらいいなぁーと毎日を生きています。

2 throughts on "プチ同窓会で大阪行き。2023.1.8(日)・9(月) その1"

  1. 「押忍」
    私も、恥ずかしながら、某高校、某大学で「団員」を務めさせて頂きました。
    大学では寮生活が当然で、3年以上になると寮から解放されましたよ。
    1年は地獄、2年は奴隷、3年は人間、4年は神様。
    しごきも半端なく、当時は「可愛がり」、竹刀ならまだましで、木刀でした。
    革靴履いてのうさぎ跳び、空気椅子、などなど
    今となっては良き思いでです。
    現在は、チアリーダー部と一緒になり、硬派と言う言葉は死語ですね。

    1. 服部さん、コメントありがとうございます。

      なんと、貴殿は花の応援団でしたか!
      言われてみればそんな雰囲気もありましたよね(笑)。

      寮生活も1回生の夏休みぐらいまでが地獄でしたけど、2回生からは寮生活も楽しくなってきましたね。
      何といっても同じ地獄(貴殿とはレベルが違いますが)をくぐりぬけてきた連中との共同生活でしたからね。
      ただ、我々の代から「馬鹿な事(暴力行為や嫌がらせ等)は止めようぜ」という機運が持ち上がり、4回生の頃には「過ごしやすい」寮になっていたと思います。

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