先週土曜日(2/16)の続きで、お袋の三輪車の修理を完成させ、中古三輪車の部品取りと解体作業を敢行した。
本日は日中暖かくなるとの予報で絶好のツーリング日和なのだが、やりかけのお仕事を完了しなければならず、早朝ウォーキングor早朝自転車トレーニングも取りやめた。
そう、そのやりかけのお仕事とは、お袋の三輪車を走行可能な状態にしなければならないのですよ。
朝食もさっさと済ませ、いつものツナギ服に着替えていざ青空ガレージへ。時刻はまだ午前10時前。
ホイールの振れ取りやタイヤ装着を先週までで終えていたので、残るは組立作業と各部の微調整のみ。本日中に終了するのは確実だ。
前回当該三輪車の後輪部構造を把握したため、本日の作業は割とスムースに進む。
作業開始からそれほど時間をかけず、まずは片側のシャフト付き車輪を装着。
もう片方の車輪は通常のママチャリと同じ仕様だから、難なく装着。
残るは各部微調整。結構ブレーキ調整で時間かかったかな。でも一番重要な部分だからね。念入りに作業しないとね。
チェーンや各所に注油した。
かごもね、松阪号から移植したよん。
かごを移植したら第一部は終了だね。まだ正午少し前。
お次の第二部は、「ザ・解体」である。
サドルも移植しといた。
いよいよ解体作業だが、前回にも少し触れたが、この松阪号、三輪自転車の出始めの頃のモデルらしく、かなり前のもの(調べていないが)である。その証拠に、ほとんどのパーツが日本製。ボルト類なんかもそうじゃないかな。
鋳物パーツなんかも使われているんだけど、とても重厚で丈夫そうなんだよね。新しいモデル(といってもオフクロ号も5年以上前のモデル)は鋳物パーツはなし。代わりにアルミパーツがちりばめられている。
いやいや、立派なHPもありますぜ、「IZUMI」
すごいね、画像でも分かるように、まだ金ピカじゃないっすか?この堂々たる輝き。世界に誇る技術。さすが日本製だ。
で、取り出したこの道具↓も、中学生の頃南区の自転車専門店で購入した専用工具。一体購入後何回使うんだろうというシロモノなんだけど、当時の俺(今もかな(笑))にとっては、「専門工具」を持つことが誇らしげだったんだよね。いかにも「極めています」って感じでね。13・14歳のガキだから、とにかく粋がりたいんだよね。
数回しか使わないような工具、モノでもついつい購入してしまうのは、中学生の頃もそれからウン十年経った現在でも全く変化なしだな(笑)。
このクランクも使わないから廃棄してしまうのだけれど、何だかもったいないね。技術の結晶である日本製の工業製品だからね…。かと言って置いておいてもね…。
さあ、どんどん解体していくのだが、画像↓のハンドルバーを何気に両手で握ってみると…
何かこんな感じのハンドルの乗り物に乗ってなかったか、オレ?
プルバックハンドルバーと言えば、こいつでしょう!
ローライダー(2000FXDL) ですぜ!
2000年7月~2006年6月の間、約50,000㎞乗ったんだよね。
ということで、話は「ザ・解体」へ戻ります。
ある程度ばらしたら、最終的に自治体のルールに合致させるため、グラインダーで切っていきます。
グラインダーのディスクを3枚使い(安物ディスク?)、ここまでカット。
修理中は何とも思わなかったけど、解体作業に移ってからずっと何とも言えない気持ちに変化してきたような気がする。
特にフレームをグラインダーでカットするときには、まさしく「断腸の思い」というかね。
もちろん企業は製品の対価として現金収入を得ているから絶対に「損」はしていないのだけれど、この製品の開発・設計・組立等にかかわった人たちの「思い」を一連の解体作業、特にグラインダーでのカットで「踏みにじる」ような気分になってしまった。切り刻んだら二度と「三輪車」として復活することはないからね。
まあ、最終的にはお袋の「おお、完成やな。」という嬉しそうな顔に救われたんだけどね。
ということで、最後は若干湿っぽくなってしまったが、作業は無事終了し、お袋は三輪車でスーパーに買い物に行き、思い荷物をかごに満載して走っている。
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