※今回はオートバイに関係のない話となりますので、興味関心の無い方はスルーを。
昨日(2018.9.10(月))、午後有休を取り、次男の通う中学校へ出向いた。
校長、教頭、俺の三者で話をするためだ。
当初、教頭と俺の二者での話だと勝手に思っていたのだが、当日「校長も同席します。」との教頭の言葉で三者であることが分かった。
一体何の話かというと、決して次男が学校で何か大きな問題を起こしたということではなく、学校で行われている行事についての話。
その行事について、学校側が「個別に」保護者の意見・考えを聞くという会。
まあね、参加対象者は、「希望される保護者の方」なんだけど、希望する保護者は事前に教頭に連絡して、予約をしなければならない。
当該行事については保護者全体への事前説明会もなく、10月某日に開催決定がなされた後に、「開催のお知らせとお願い」のプリントが配布された。
そのプリントの中に、今回の「個別懇談会(聴聞会?)」の記載があったのだ。
しかも記されたその日程が、プリント配布の4日後~6日後。
俺は何とか仕事の都合を付け、半日有休をとることができたが(業者との話し合いはキャンセルせざるを得なかったが)、他の保護者は恐らく都合を付けることなど不可能ではなかったか。
1 先に行事の内容は決定されている。
2 全体への「事前」説明はなし。
3 決定後に「個別」で懇談(聴聞?)。
4 会のお知らせから当日までの日数が1週間なし(日程調整不能)。
5 教頭に電話で予約。
つまり、「出席できない(しない、しにくい)であろう」状況を意図的に作ったとしか考えられない。
次男が通う中学校では、体育大会で30年以上継続して行われている集団演技があるのだが、その演技中ここ数年来日本全国で問題になっている「組み体操」を未だに取り入れている。
組み体操の危険性についてはマスコミで幾度となく取り上げられているので、ここでは詳細に触れないが、御多分に漏れず、次男の通う学校でも過去重大事故が起きている(開放骨折。受傷部位不明)。
組み体操だけでなく、この学校の集団演技自体にも疑問がある。
指令台に上った教員の笛や掛け声で、子どもたちが一斉に同じ動作を行う。
その練習では、『普段の学校生活で決して発しないような大声で(次男曰く)』動作に遅れた子どもたちに恫喝。
「何回言われたら分かるんだ!」「やる気のない奴は外れろ!」「伝統をお前たちで終わらせるのか!」等々。時代錯誤も甚だしい。
そう、軍事教練、軍隊です。旧帝国陸軍。いや、テレビに映し出される彼の国のパレートか。
『子どもたちが練習に真剣に取り組むプロセスや、やり遂げたときに味わう達成感を考えたときに、その教育的価値が十分にあると判断し・・・。』との文面が、昨年同様今年も保護者あてのプリント(前述)に書かれていた。
文科省からの通知を鑑みて、組み体操自体を中止したり、組み体操の難易度を下げたりした(下げたら意味がないのでは?)学校も多い。2016年から事故が減少したという資料もあるが、母数が減ったのだから総数としての事故数が減るのは当然のことであり、だから組み体操は安全に実施されているとは到底言えない。
次男が通っていた小学校(今年度から組み体操は中止)では、「団結力や忍耐力、協調性」などという言葉も使われていたが、それらは組み体操からしか得ることができないのだろうか。しかも重大事故や最悪の場合死亡するようなリスクを背負わせてまで。
授業をはじめとして、普段の学校生活の中でいかようにも得ることができるものではないだろうか。
午後の授業を削ってまで取り組むことだろうか。ただでさえこの地域は市内でも「学力の低い(当該中学校の「学習担当教員」が保護者会で言い放った)」地域であるのに。
昨年から3年生が行う「タワー」では何故か「同意書(!)」を取ったのだが、なぜ同意書を取ることになったのか、そもそも同意書を取ってまで行う学校行事とは何なのか。跳び箱やマット運動、水泳の授業、野外活動等で同意書を取るのか。
同意を得ることができた子どもたちを「有志」と呼び、「有志によるタワーでは大成功をおさめ・・・」などという文言も昨年の大会後のアンケートに謳われていたが、同意をせず、タワーに参加しなかった子どもたちへの配慮はあったのかなかったのか。
3年生に同意書を取ることになった経緯や同意書を取ったこと、有志や不参加生徒への具体的な配慮の有無など、事前の説明が他学年への保護者には全くなかった。
そのような状況で当日を迎え、「偶然にも」大きな事故はなかったが、作られた「感動」への生徒・保護者へのアンケート実施。
そのアンケートの回答として、俺はA4用紙4枚に思いを綴った。
「あれだめこれだめ」だけではなく、提案事項も書いた。
しかし、その後「アンケート集計結果」として全体に配布されたプリントには、いわゆる否定的な意見は「皆無」。
ひょっとして否定的な意見は約300世帯のうちで俺一人???
たとえそうだとしても、否定的な意見を全く掲載しないというのはどういうことか。少数意見は「無視」なのか。どうみても意図的だ。
昨年のアンケート回答で一番の提案事項として俺が掲げたのは、「生徒同士の話し合い」だ。
当該集団演技についての意義や危険性、はたまた「伝統」として継続されていることへの考察等、生徒同士で話し合う場を「何度も」設定してほしいと懇願したのだ。
このアンケートへの回答が昨年10月。
その後5か月経っても何のアクションもないので、突然開かれた(年間予定表に記載なし)「年度末3月(通常は考えられない時期)」の学年保護者会終了後に、息子の担任(学年主任)を捕まえて話をした。
もちろん、同会では当該集団演技についての説明は一切なし。
本来なら同会終了前に、当該集団演技について「全体」に向けて話をするつもりでいたのだが、「その他何かご質問等ありましたら(通常どんな会でも最後にあるはずの)」の呼びかけもないまま「本日はこれで終了します。」の号令。保護者が席を離れ始めた。それらを戻してまで話す勇気がなかったので、同会終了後に担任教師を呼び止めたわけだ。
ここまで書いたことをはじめとして、思いのたけを1時間弱話をした。
「生徒同士の話し合い」をここでもその必要性を訴えた。
学年主任も務める男性教員は言葉を選びながら俺の話を聞いていたが、
「地域の声(卒業生でもある地域住民)も大きい。」
「教員の中でも意見が分かれている。」
「アンケートの集計は意図的ではない。」
「決して(集団演技は)実施ありきではない。」
等々、さすが教員、ああ言えばこう言うで、回答は必ず返ってきた。
「分かりません。」はない。
しかし、ここまで執拗に話をしてくる保護者には少々辟易としているようで、
「まあねお父さん、極論を言ったら跳び箱や鉄棒、マット運動でも危険だから中止しろってことにもなりますしねぇ~。」との発言もあった。
「でもね先生、跳び箱や鉄棒、マット運動は学習指導要領に記載されているじゃないですか。組み体操はどこにもその記載はないのですよ。ご存知ですよね。」
ここは先生、黙ってしまった。
否定的な回答がアンケート集計結果に記載されていないことについても、「記載されている。」と言ったが、それは嘘。どこにも載っていないのだから。
まだまだ話したかったが、途中で教頭(前任者。今回対応した教頭は本年度から)が「下校見守り隊」へ出発するとのことで呼びに来たため、話半ばで終了してしまった。
「お父さんのアンケート回答(A4 用紙4枚の)は校長まで回していますので。」が最後の言葉だった。
そして新学年になり、今年度4月の学級懇談会。
奇しくも前年度の担任教諭が、引き続き次男のクラス担任となり、再度学年主任となった(これも意図的?)。
前述のアンケート回答を10人分ぐらいコピーして、懇談会出席の保護者に配布しようと持参した。
地域の特性上、学級懇談会への出席率は低く、40数名クラスで保護者は10人弱。授業参観には出ても、その後の学級懇談会やPTA総会には出席せず帰宅する。
担任教諭に学級懇談会の場で許可を得、保護者に配布し、かいつまんで組み体操や集団演技について思いのたけを話した。
悲しいかな出席者のうち数名が外国人で、俺の文章や話は理解できていない。
それでも一通り話した。
ここでも「生徒同士の話し合い」と強調して懇願した。
その後一ヶ月、同様に何のリアクションもなく過ぎた。
翌月の5月。
年間予定にある、家庭訪問である。
自宅を訪れた担任と副担任の新卒女教諭。
当たり障りのない話をしたあと、「その他何かございますか。」との担任教諭の言葉に、4度目のお願いとして、「生徒同士の話し合い」をした。
その後6・7月と次男からは「今日班で話し合ったよ。」の声は一切聞かれなかった。
夏休みに入った。
休みが明けて9月。
3日(月)から2学期開始。
そこで冒頭の「〇〇実施のお知らせとご協力のお願い」のプリント配布となったわけである。
~ 学校教育とは・・・②に続く ~
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