さあ、いよいよ今日は37年来の夢が叶う日だぞ🏍🏍🏍

9時ジャスト、天気はイマイチだけど出発すっぺ🏍🏍🏍
大学を卒業して大阪から名古屋に帰り、その翌年あたりに(1988年かな?)当時所有していたスズキの刀(750㏄でセパハン仕様。もちろんヨシムラの集合管付)で阿蘇を目指したんだよね。



10時少々前、ここら辺りで雨は覚悟したんだけどね・・。
1月の中旬から下旬だったと記憶しているが、大阪南港から別府までフェリーを利用し九州に渡った。フェリー内のテレビで「九州に雪」との情報が流れていたので、念のため別府に着岸後フェリーターミナルから宿泊予約しておいた阿蘇ユースホステルに電話を入れたんだよね。


10時05分、道の駅あそ望の郷くぎのでルート確認と(-。-)y-゜゜゜
「運が悪いね!昨晩から雪が降って50cm近く積もってるよ!」、とYHのオーナーからΣ( ̄□ ̄|||) 。車かと聞かれ、オートバイだと伝えると、「ちょっと無理じゃないか?」と。はい、諦めました。九州は温暖だから1月でも余裕でRideできると思い込んでたんだよね。今から思えばカルデラだって標高の高いお山だからね (;^_^A

道の駅にモンベルの店舗が入っていた。最近よく見かけるよね、道の駅のモンベル(奈良県黒滝村とか)。
そんなわけで37年前の阿蘇ツーは、高崎山の猿🐵見学と国東半島を少しだけ走って帰宅と相成ったのだった(笑)。なかなか九州なんかへ行けないから、阿蘇・やまなみハイウェイツーはそのままお蔵入りとなっていたのだ。その4年後に「アメリカ2ヵ月放浪の旅」にも行ったしね。

10時38分、さあ駆け上がるぞ🏍🏍🏍と勇んで県道に飛び出したのだが・・



その10分後・・なんじゃこの霧ぃ~ Σ( ̄□ ̄|||) 20~30m先が見えない ✘👀👀✘ 加えて中途半端な霧雨⛆
出発前の天気予報では、『南からの湿った空気が九州・四国地方に流れ込み、九州大分や四国高知は雨』とのことだった。九州山地の西側にあたる出発地点の熊本市での雨は何とかセーフだったが、同山地である阿蘇はどうなんだろう、と懸念をしていた。


11時22分、県道脇で合羽着用と荷物の雨対策。
久しぶりの合羽着用や荷物の雨対策のため、かなり時間を取られた (;^_^A 特にカドヤのエンジンニアブーツに被せるカバーが中々装着できずに参ったよな (;^_^A と、その時・・
どげんしたとぉ~
えっ Σ( ̄□ ̄|||) 霧の向こうから声がした。人影が見えてさらに驚いたのだが(笑)、上画像(右)の後方に写っている民家から爺さんが出てきたのだった (;^_^A

11時35分、まだ霧は晴れてくれない・・
合羽着用や荷物の雨対策に時間がかかっていることを話すと、どこまで行くのかと聞かれた。これからやまなみハイウェイに行くのだと伝えると、この天気の中走るのか、と。何でも同ハイウェイでのオートバイ事故が多いようで、「気ぃつけて行きな」と労いの言葉をいただいた。ありがとうございます<(_ _)>

同県道。前を行く車のテールライトが命綱になってくれた。この県道区間で出会った唯一の車だった(;^_^A
結局この霧雨はカルデラを抜けるまで降り続き、帰路のフェリー利用を決定づけたのだった。

五里霧中の県道で突然現れた踏切に驚くの図(笑)。車がいなかったら突っ込んでたかも(;^_^A
さて、いよいよやまなみハイウェイに飛び込んでいくのだが・・・



12時ジャスト・・まさしく五里霧中(;^_^A

一瞬霧が晴れたような気もしたのだが・・



奇跡は起こらない _| ̄|○
結局やまなみハイウェイを全線Rideできたわけではなく、霧や霧雨に包まれた同ハイウェイのほんの一部を垣間見たに過ぎなかった。






霧や霧雨に包まれていたからこその幻想的な風景でもあった。
晴天下であれば、それこそ雄大な世界一のカルデラを目の当たりにし、その一瞬一瞬を脳裏に焼き付けることができたのかもしれない。ただ、五里霧中、無我夢中で走っている途上、ある一つの言葉が浮かんだ。
PATAGONIA(パタゴニア)

そう、あの南米チリ、アルゼンチンにまたがる地域である。彼の地へは死ぬまでには行きたいと思っているが、まだその夢はかなっておらず、依然憧憬の地のままだ。
ネット等で見る彼の地とここ阿蘇とでは地理的に似ても似つかないのかも知れないが、この雲霧に包まれた阿蘇の幻想的かつ神秘的な景観をどう表現したらよいのか分からず、咄嗟に「PATAGONIA(パタゴニア)」という文字が浮かんだのかもしれない。

そうだ、このカルデラも、37年来の『憧憬の地』だったじゃないか。
国内外の違いや地理的、景観的な違いはあれど、俺の中で憧憬の地であるということに変わりはない。その思いが点と点をつなげたのだろう。



やまなみハイウェイのピークを越えるとお青空が見えてきた。久々の雨の険道走りで結構気を使い、若干疲れもでてきた。まだまだこの阿蘇山や九重連山一帯は走りどころ満載で、到底今日1日で回り切れるエリアではない。





12時30分、標高1330mの牧の戸峠を越える。


12時45分、ここでやっと合羽を脱ぐことができたヽ(^o^)丿
一服しながら考える。明日も九州・四国・中国地方は雨模様の天気予報。これはやはり、プランBの大分から神戸行のフェリーで帰路に着いた方がいいと判断した。よし、西大分港へ向かおう🏍🏍🏍

偶然にも前を行く原付2種が「神戸ナンバー」。 神の見えざる手か (^^ゞ
その神戸行のさんふらわ、ネットでの支払いは済ませていなかったが、チケットの仮予約はしておいた。というか、スマホでの支払いが上手くできなかった(笑)。これもプランBへ早々に変更する必要はない、という神の見えざる手だったのか (;^ω^)/
まあ出航が19時20分だから、時間的にも精神的にもかなり余裕のあるRIDEができるというものだ。が、しかし・・・



13時20分、またしても霧・霧雨が発生し、合羽着用と積載物の雨対策_| ̄|○
まあいいよいいよ、時間的にも精神的にも余裕はあるのだから_| ̄|○

14時58分、西大分港フェリーターミナル到着🏍🏍🏍
別府市内で軽い渋滞に合うも、迷うことなく船着き場にたどり着く。19時20分出航だから、まだ4時間以上あるぞ(;^ω^)。まあ、とりあえず支払いだけ済ませておくか。
受付に行くとオネェチャンが2名座っていた。ネットで乗船券を予約したが、支払いが済んでない旨を伝えると・・
受付は17時からですので、しばらくお待ちください(キッパリ)。
はあ?じゃあ何でそこに2名も座ってんだよ(# ゚Д゚)/ 、と心の中で叫びターミナルを出た。

16時30分、片道1.0㎞のスーパーへ買い出しに行った。
駐車係のオジサンに近くに土産物屋はないかと聞いてみたが、道の駅ならあるが徒歩では遠すぎるのでバイクで行ったらどうだ、と。もう霧と霧雨の中合羽を脱ぎ着しながら走って来て単車には乗りたくなかったので、スマホで検索開始。
いや、本当スマホ便利だね。徒歩圏内で土産物の取り扱いのあるスーパーがビンゴ。この3日間いつもの寝起き筋トレはしたけど足をほとんど使っていなかったので、往復2kmのウォーキングに出かけた。スニーカーを持参してきて大正解!

今夜の船内食もゲットした。さすが九州、味付けが超甘!
家族と職場への土産もさることながら、自身の船内食もゲットでき、さらには鈍った足腰の運動もできて十分な時間潰しもできた。一石四鳥だヽ(^o^)丿

17時ジャスト、支払いを済ませて乗船券をゲット!
ウォーキングから戻ったのが16時50分。全くもってベリーベストな時間潰しだったな。早速再度受付カウンターに行き、さっきの愛想の悪い30代女とは違って入社間もなさそうな20代前半のオネェチャンの所へ行く。カード支払いの段階からかなり時間を要したけど、ま、若くて可愛いかったから許してあげるぅ~💛

神戸行のステッカーが貼られ、いよいよその時を待つのみ⛴

17時25分現在でオートバイは4台だったが、最終的に7台となった。
そして18時05分、いよいよ乗船開始となる🏍



18時16分、乗船完了🏍🏍🏍


バス・トイレなしだけど、約13時間の滞在なら十分だ。
同じさんふらわあで別府から大阪南港行の便もあったのだが、個室は空室なしだったのでこちらの便にした。この齢になって雑魚寝や二段ベッドってのも何だかね、ってことで。




19時06分、離岸する前に一風呂浴びて、晩飯開始。
食品添加物テンコ盛りのスーパー総菜。加えて甘々の九州味付け。ま、たまには毒も体に入れないと免疫力が落ちるからね(笑)。






19時20分、定刻通り出航⛴
さあ、部屋に戻って晩飯の続きとするか。明日の朝目覚めたら神戸だぜ🏍🏍🏍
出航前の往復2km買い出しウォーキングが効いたのか、この3日間のRIDEの疲れなのか、晩飯終えたら歯磨きもせずに寝落ちしていた (^^ゞ 。