学校教育とは・・・② ※興味関心の無い方はスルーを。

「校長も入るので、どうやって座ろうかなぁ~。まあ2対1で仕方ないか・・・」

教頭は独り言を言いながら、校舎の2階、職員室隣にある「特別研修室」へ俺を案内した。

校長を呼びに行った教頭がすぐに戻って来て、校長と共に研修室に入って来た。

座っていた俺は立ち上がった。

「初めまして、校長の〇〇です。本日はお忙しい中、ありがとうございます。」と先に挨拶した校長に、「いえ、こちらこそお時間をお取りして申し訳ありません。〇〇(息子の氏名)の父親です。」と校長に挨拶した(当然ですね)。

 

教頭・校長と俺が会議長机2列を挟んで対面するように座り(まるで採用面接だ(笑))、開口一番、教頭から今回の場の設定の経緯、意義等の簡単な説明があり、会が始まった。

「どういう風に進めようかなぁ。う~ん・・・。」と切り出した教頭に、

「まあ、私の考えやお伝えしたいことはここ(昨年10月に提出したアンケート回答のコピーを指差して)に書いてありますので、今日私からお話しするとしたら内容が重複してしまいますが。」と俺。

「いえいえ、それは構いませんし、文章と話すのとではまた違いますし。」

「文字数だけ多い稚拙な文章ですので、内容が分かりにくいようでしたら、補足という形でお話ししてもかまいませんが。」

「いえいえ、内容は十分理解できますし、これだけの文章をまとめていただくのはかなりお時間がかかったと思います。」

「時間だけかかってこの程度の内容です。お恥ずかしい限りです。」

「いえいえ、とんでもないです。とても分かりやすい文章だと・・・。」

押し問答にもなりかねないので、文章の内容を踏襲する形で俺から話し始めた。

 

前述通り、話した内容はアンケート回答の繰り返しであり、前回の内容(学校教育とは・・・①)と同じ。

校長は終始黙って教頭と俺のやり取りを傾聴するのみで、相槌を打つ程度。これは想定内で、常套手段だね。

教頭はさすがに30年以上のキャリアや日ごろの保護者対応経験から、「完全否定はしないが全面的に賛成もしない」立場で俺の話をかわしたり受容するような態度を示したりする。

また、場を和ますためや話を逸らすために、「私事ですが」と自身の経験や家族のことを合間に入れる。

呼応するかのように、こちらも「私事」を盛り込んだ語り口で終始和やかムードで話を進めた。

私事の全てを詳細にここで書くわけにはいかないが、俺も世間一般から見れば、これまでいろいろな「普通ではない(?)」経験をしてきた人間なので、ほんの少しだけ今回の場で話させてもらった。

一様に驚いていたお二人だったが、それでも「それはそれ、これはこれ」である。

 

そうそう、前回記述しなかったことで驚いたり、「それってどうなんだろう」と思ったりしたことがある。

先週の金曜日(9/7)の朝、今回の「個別」懇談会の予約(9/6(木)配布のプリントの指示通り)をすべく教頭に連絡をしたのだが、次男曰く、同日昼休憩時に教頭が次男のクラスに来て、担任教諭に何かを話していたらしい。もちろん、内容は分からない。

さらに同日帰りの会。

担任教諭から以下の話があったらしい。

「月曜日(9/10)の1時間目の道徳は、〇〇(集団演技)や組み体操についてみんなで話し合うから。〇〇(集団演技)ってなんだろう、組み体操ってどうなんだろうって内容で話し合ってみよう。」

それを聞いた次男や他の生徒は疑問に思ったらしい。

ほんの数日前、月曜日1時間目の道徳の時間には、この夏休み中に行った野外活動のまとめ学習の続きを行う予定だと言っていたにもかかわらず、急に、しかも体育大会の〇〇(集団演技)や組み体操についての「話し合い」をする?どうして?

次男は俺が「生徒同士の話し合い」を担任教諭に懇願していることは知っていたので、「父ちゃんが言っていたことだ。」と真っ先に考えたらしいが、他の生徒は「?」だっただろう。

その日(9/7(金))の夜、個別懇談会の予約を入れたことについて次男に話した際、上記のことを俺に話してくれたのだが、次男としては点と点がつながったらしい。

朝の予約⇒昼休憩の教頭⇒帰りの会での担任の話という3つの点が。

まあこれについては、「別件で緊急の用でした。」との教頭の弁だったが。

 

9/10(月)の道徳の時間。

これも次男からの聞き書き。

授業開始前の朝の会が終わると同時に担任は退出し(?)、「話し合い」は副担任の新卒女教師のみが担当した。

副担任は開口一番、「〇〇(集団演技)の意義について配ったプリントに書いてみて。」と言い放ち、「意義っていう意味が分からない人のために説明するね。」と意義の意味については説明したらしい。

ほとんどの生徒が「(当該校の)伝統だから」と書いていたとのこと。

もちろん、俺も次男に尋ねた「伝統とは?」の問いは一切なしだったとのこと。

次男は話し合い直前の週末、伝統の意味だけでなく、どんな意見を言おうか辞書で調べたり考えをまとめたりしていたんだけどね。

意義について生徒に書かせた後、その発表はなく、すぐに班に分かれて話し合いを始めたのだが、なぜか、

「反対の人も賛成の人もまずは自分の意見を言わないで、『もし賛成だったら』『もし反対だったら』という立場で意見を出してみてね。」と。

そうして始まったグループディスカッションだが、自身の班をはじめ、他の班での賛成派(のつもり派?)の意見は、ほとんどが「伝統だから」だったとのこと。それ以上それ以下でもなかったと。

授業終了後、次男が数名に聞いてみたところ、ほとんどの生徒が〇〇(集団演技)や組み体操については、反対派だったとのこと。

「授業を潰してまで(練習を)やる意味がない。」「ケガをして重い障害が残ったら最悪。」「(練習が)普段の授業より厳しすぎるからやりたくない」等々、すべてごく当たり前の意見だろう。

それも、成績上位の生徒ほどはっきりと反対していたらしい。

途中で副担任から「時間がないから(話し合いの)時間を短縮するね。」との声掛けがあり、結局班の中で個人が意見を言う時間は2~3分だったらしい。

そこで終了(?)。

班ごとにどんな意見が出たのかの発表はなし。つまり、他者の意見、考えはまったく不明のまま。次男も疑問に思ったらしい。

仕方なく、というか気にもなったため、次男は数名のクラスメートに意見を聞いたのだが、それが前述の意見。

この中途半端な討議については、教頭に伝えた。

「通常であれば班ごとに意見を発表し、それを元に全員で討議をするのでは?これでは討議どころか他者の意見・考えがまるっきり分からないし、少人数での『会話』でしかないのでは。」、と。

教頭は落ち着いた面持ちで、「はい。その場にいなかったので何とも言えませんが、その通りだとするなら、〇〇(副担任)の時間配分ミスだと思います。グループディスカッションならお父さんの言う通りに進めることが通常ですね。」

「さらに言えば、『賛成派になったつもりで』『反対派になったつもりで』などという取り組みは不必要だし、これが今言われた時間配分ミスの原因なのはあきらかであり、そもそも皆の意見・考えを聞くということを意図的に避けたのではと思えてくる。」、と俺が言うと、

「いえいえ、そういった意味での意図的な進め方ではなかったと思いますよ。」と教頭。

野外学習のまとめ学習の続きを変更してまでグループ討議を実施したことの真意については何も語らなかった教頭だが、副担任の時間配分ミスが失敗の原因とする意見には変更を入れなかった。また、話し合い自体(この個人懇談会も)が体育大会での集団演技、組み体操実施の決定がなされた後というタイミングであることについての回答にも口をつぐんでいた。

 

何とも尻切れトンボ的な討議だったのだが、授業開始前に退出した担任教諭が、1時間目の授業終了のチャイムが鳴るやいなや教室に入って来たらしい。

これについても教頭に伝えたが、「ここでも(担任教諭に)緊急の用が入ったんですよね。」とだけ返答した。よくも偶然が重なるもんだなや(笑)。

「生徒同士の話し合い」は継続して行わなければ意味がないので、間違っても俺は「こんな話し合いやったら何度やっても同じやないかい!」とは言うつもりはなく、

「まあ、1年間放置された『生徒同士の話し合い』が行われたこと自体には大変感謝します。ただ、その方法論については正直お粗末としか言えないので、これからも試行錯誤しながら回を重ねてほしいです。」

「また、〇〇先生(副担任)も新卒でまだお若いので、その可能性に重きを置きたいと思います。間違っても今回の生徒同士の話し合いが最初で最後にならないことを祈ります。」、と俺の方から話しを結んだ。

 

まだまだ詳細を書けばいろいろあるし、書けること書けないことも当然あるのだが、かなり長くなりそうなのでここら辺で一度締めることとする。

18時5分前から始まった個人懇談会だが、終了は20時丁度だった。

 

教頭からは、

「私もいろいろな保護者の方とお話しさせていただく機会があまりないので、こういった場を持つことはとても貴重だと感じております。今日を機会に、お父さん、お忙しいとは思いますが、学校にちょくちょくお越しいただいて、私と個人的にでも構いませんので、お話ししませんか。体育大会のこと以外でも何でも結構ですので、お話ししたいです。正直申し上げて、大声張り上げてぎゃあぎゃあ言ってこられる方でしたら、『はいはい』って感じで対応するのですが、お父さんのように理路整然と穏やかに話をしてくださる方なら、お話をもっともっと聞かせていただきたいと思います。」、と。

まあね、社交辞令であることぐらいは理解できるので、「はい。またお話しできればと思います。」とだけ返しておいた。

そして最後の最後に、「しつこいようですが、生徒同士の話し合い。これは必ず継続してください。期待しています。」と付け加えた。

 

「話を聞くだけ」の会であることは次男が持ち帰ったプリントの文面を見た瞬間に理解できたし、実際もその通りであった。

学校としては、「ずっと放置されて無視されたままだ。」と思われたり、それを外部に話されたりすると困るので、「お話を聞く場を設定した。」という事実をとにかく作りたかった。それは大会開催決定後だろうが何だろうが関係ない。とにかく「場を設けた。」という事実が重要なのだ。

懇談会の形式が個人だろうが全体だろうが関係ないし、その案内から実施日までの日数がわずか数日であることも関係ない。もちろん、その場に誰一人保護者が参加しなくてもよいわけである。

「場を設けたが希望者なし。」でもその通りに報告すればよい。

案の定、希望者は俺だけかと尋ねたところ、「はい。今のところお父さんだけです。」と。まあ、約300世帯で俺一人だろうね。かなり厳しい状況です。

学校としてはかなり「楽」なんじゃないかな。

俺一人だけを相手にすればいいのだから。学業成績優秀でずっと今まできた職員集団だからね。俺程度の保護者一人の対応なら何てことはない。

今回の個人懇談会の流れやその結末も分かり切っていたこと。

それでも行かなきゃね。「偉そうなこと書いてくる割に、指しで話となると出てこない奴」と思われるのは耐えられないっすから(笑)。

 

来月10月初めの従来通りの体育大会は決定事項なので、その中で行われる集団演技と組み体操を中止させる手立てはないのだが、来年度に向けての働きかけは必要である。

とりあえず10月終わりに授業公開日と学級懇談会がある。体育大会終了後にはお決まりのアンケートもある。個人的に教頭に話したところで拉致は開かないし、大きなうねりにはなり得ない。

やはり、他の保護者との連携が必要なのは言うまでもないのだが、地域の特性上、中止に賛同し声を上げてくれる保護者が何人いるかが未知数であり、最悪の場合俺一人という可能性も十分ある。

ただし、俺一人でも声は上げていくつもりだ。我が子だけではなく、子どもたちすべての無限の可能性を守るためにも。

練習時や体育大会当日に、生徒の中で誰一人負傷者が出ないことを祈るばかりである。

 

さあ、明日(9/16(日))は4週間ぶりにオートバイに乗れるぞ!

先週行けなかった三重県北牟婁郡大台町の「水吞峠」にスーパーシェルパ(2004)で行くぜ!!

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