えっ!?26年ぶりの痛風発作が出たんだけど…。 2020.3.28(土)

美しくない画像が出ます。ご承知おきください。

まさか来るとは思わなかった…。

3月25日(水)左足母指第一関節に違和感出現。手指で押さえると軽い痛みがある。でも、普通に歩行はできる。歩行時の痛みはない。何だろう?ひねったりぶつけたりした覚えはない。

翌26日(木)、27日(金)も同様で軽い圧痛はあるものの、歩行に支障はなく痛みもない。

そして28日(土)起床時、患部を見ると腫脹・発赤が顕著になっていた・・・。

これって…痛風発作じゃね?

今度は歩行時にも痛みがあり、足を引きずらないと歩行できない。ただ、26年前の痛みほどではないような気がする。何といっても歩行可能だから。過去2回(初回の20歳時を含めると3回だが、発赤と軽い痛みのみだったため発作とは言い難いので、25歳、30歳時の2回とした。)の発作時は、激痛をこらえて歩行するのに脂汗をかいていたから。それが、今回は脂汗をかくほどではない。

早速ネットで調べ、スクーターで10分程の距離にある、2年前に開院したクリニックを受診した。2年半前まで通院していたクリニックへは行かなかった。自己判断で中止した内服薬(尿酸生成抑制剤)を処方してもらっていたクリニックだったからだ。

初診だったため、問診表に書き込んで待つこと30分強。持参した『代謝がわかれば身体がわかる 大平万里著』を数ページ読み進めたところで名前を呼ばれた。

名古屋大学医学部卒の40代半ばの医者。

開口一番『糖質制限で13kgもやせたの?』、と(笑。そこちゃうやろ?)。

患部を触診し、「ああ、腫れてますね。痛風っぽいですね。」

鎮痛剤と胃薬を処方され、採血でスピッツ4本、尿検査、身長と体重測定を終えて帰宅した。ついでに名古屋市から送られてきた『風しん第5期予防接種』の予約もしたので、その抗体検査分の血液も取られたのだろう。

帰宅後、処方された薬(解熱・鎮痛・消炎剤」を1錠飲んだ。するとどうだろう、20分程経過すると痛みが消失!腫脹・発赤に変化はないが、普通に歩行できるではないか!やはり2年半もの間まったく薬を口にしなかったため、薬の効きがストレートにきたのだろう。ただ、これは治癒したのではなく、血流を滞らせて痛みを感じなくしているだけの対症療法である。人間の体は患部に炎症を起こして修復するので、痛みが消えたと錯覚して患部を動かすと治癒が遅れてしまうのだ…それなのに…。

この翌日の29日(日)と30日(月)の一泊二日で、息子たちとキャンプに行く予定だったのだが、今朝(28日(土))の病院受診でキャンプ中止の色が濃くなっていた。しかし、「この劇的な鎮痛効果」により、再度キャンプ行きが現実味を帯びてきた。それならと、次男と食材の買い出しに出かけたのだった。

買い出しから帰宅後、息子たちと食材の仕込みを行い、キャンプ道具を2階から1階へ移動。そこから駐車場の車へ積み込み。この間もまったく患部に痛みはなかった。部屋に戻り、まだ決めあぐんでいたキャンプ場の予約をする。いくつかあたり、最終的に定番の愛知県民の森のバンガローで予約完了した。

さあ、準備万端。あいにく天気は芳しくないものの、万が一に備えてバンガロー泊にしたのだったが…。

糖質制限を初めて3年ちょっと、体重も13kg減り(ダイエットのためではなかったのだが)、体調も良く過ごしてきたので、まさか痛風発作が出現するとは思いもしなかったな。確かに20年ちょっと飲み続けていた内服薬を自己判断で止めたのだが、それから2年と7カ月の月日が流れている。もう痛風発作などとは無縁になったと思っていたな・・・。

それは今から30数年前の大学2回生の夏までさかのぼる・・・。

1年浪人して入学した大学。住まいは築30年の木造平屋建ての学生寮。そこで2回目の夏を迎えた頃だった。

各学年で先輩後輩の4人部屋という、あり得ない部屋割りの寮生活にも慣れ(慣れるしかない)、同回生や他室の先輩含め10名ぐらいで吹田市民プール(大阪府)に向かう途上だった。

ん?何だか左足母指第二関節に違和感があるな、ちょっとだけ痛むかも?と思いながら歩いていた。ひねったりぶつけたりした覚えはないぞ。

クーラーなんてない、それでなくても男だけの築30年の木造平屋建ての寮で過ごす夏は耐えられない(^^ゞ。プールにでも行き、行水(?)でもしながら水着姿のオネェチャンでも見てりゃ天国ではないか。便宜上大学入学前に住民票を吹田市に移していたから、れっきとした地域住民ですからね。つかの間の天国気分ぐらいいいですよね。

何時間かで数百円という格安行水アトラクションオネェチャン見学付(?)を無事終え、更衣室で先輩から指摘された。

『なんや〇〇(私の名)、指腫れてるやんけ。』、と。

あらためて左足母指を見てみると、確かに第2関節付近が赤く腫れている。だがしかし、数時間泳いで往復歩いてもほんの少し痛みのようなものがあるだけで、あとは何でもない。

痛みの強さはほとんど気にならない程度だったのだが、赤く腫れていることが気になったので、後日、寮からほど近い吹田市民病院の整形外科(関節だからね)を受診した。

『採血しますね。』、と医者。

(は?何で関節痛で採血すんの?)

数十分後、再度診察室に入り医者の前に座る。

『痛風ってご存知ですか。』と、小冊子を俺に渡しながら口火を切った医者。

『痛風ですか?』

『そう、痛風。』

病名ぐらいは知っていたものの、中高年が罹患する疾病だと認識していた。

『まあ40代から50代の男性がよくかかる病気なんだけどね。今は30代の男性も増えていて、もっと若年化する傾向がありますよ。』

『はぁ…。』

『まあね、そういった意味ではね、大学生のあなたは時代の最先端を行っているってことかな(笑)。』

(そんなんで最先端行ったらんでもエエやろ!)

とりあえずは1週間分の鎮痛剤と胃薬、「痛風と言われたら」と表紙に書かれた小冊子を受け取り、そのまま寮に帰った。

結局1週間もしないうちに痛みも腫れも消失したため、それ以降『痛風』などという言葉は脳裏から消えてしまった。

無事大学を卒業し、名古屋へ帰って来た俺は、憧れの一人暮らしを始めた。就職?違います。ただ一人暮らしがしたかったからです(笑)。職業は?トラックの運転手のアルバイトっすよ(^^ゞ。アルバイト?

はい、大学4回生時は就職活動を一切せず(1社だけ同回生に誘われて行ったけどさ、CBSソニー!)、リクルートスーツで汗して企業回りをしている同回生たちを尻目にアルバイトに精を出し、9月一杯オートバイで「北の大地」、北海道ツーリングに出かけた(まあ、また別の機会にでも書きます。)。

まあね、そん時に真面目に就職活動してたらさ、もっと違った人生歩んでいたよな。同回生の連中なんかほとんど立身出世だもんな。常務取締役や国内営業本部長、中には行くとこまで行って50歳でリタイヤし、持ち株全部売り払って趣味のスキューバで世界を回ってる奴もいるからさ(^^ゞ。

てやんでぇー!こちとらしがないサラリーマンじゃ…(空虚…空)。

その昔、大学卒業後10年ぐらいしてから仲の良かった同回生たちと大阪で飲みに行ったことがあったんだけどさ、とにかく皆口を揃えて言っていたな。

『○○(オレの名)が羨ましいよ…。』って。

何言ってるの、お前ら上場企業で幹部候補(当時)じゃん。俺なんかアルバイトのトラック運転手だよ(同)。

『北海道だアメリカ(28歳時、3ヶ月間アメリカを放浪した。また別の機会に書きます。)だって旅行してさ、自由人そのものじゃん。』ってさ。

いやいや、お前らだっていつでもやろうと思えばできるじゃん。俺のやってることなんて誰でもできることだよ。

『いやいや、そうは言うけどさ、仕事や家庭やその他諸々で行きたいけど行けないんだよね。』と。

まあね、俺に言わせりゃ「思いが強くないから。」「どうしてもやろうという気がないから。」なんだよね。人間さ、どうしてもやりたいってなったら体が動くんだよね。ああだこうだ言う前に、自然と体が動いてしまうし、「どうしたらできるのか?」という建設的な思考になるんだよね。逆にそれをしない奴ってのは、「仕事があるし、家のことがあるし、○○があるし…。」といった、いわゆる「できない理由」を並べ始める。結局、「だからできない。」となる。

そりゃそうだよな。できない理由なんかどんどん出てくるわさ。そう、楽だもん。何か新しいこと、未知のことに挑もうとすればパワーがいるし、行動しなきゃいけない。しんどい。でもさ、内面から湧き上がってくる強い衝動、抑えきれない欲求に突き動かされてしまうんだよね。それだけ重いが強いから。つまり、動かないのは本気じゃないから。あれがしたい、これが欲しいという思いが単純に弱いだけの話だ。

まあこんなことを連中に話したら、皆黙ってしまったけどね(笑)。

たださ、50歳を過ぎた今でも、人生一体何がいいのか分からない。

俺はたまたま30代半ばまで定職に就かずにフラフラしていたけど、先の大学の同級生たちは新卒で大企業に入り数十年。皆役職に上り詰め、年収も俺の倍ぐらいあるんじゃないかな。俺は仕事に対して全く執着してこなかったので、「とにかく家族の生活や自分の余暇」をハッピーに保つことができれば仕事は何でも良かったからな。

おっとっと、かなり痛風から脱線してしまったね。

ただね、あらためてこんなことを考えるのは、病に伏した(大げさかな?)『おかげ』だよね。まだまだ人生を振り返るような年齢ではないと自分では思っているけど、「まあたまには立ち止まって休んで、ゆっくり考えてみるのもいいんじゃないか。」って、あの世の親父が取り計らったのが今回の痛風発作なのかもしれないな。先月(3月)親父の3回忌を終えたんだけど、その10日後ぐらいだもんな、母指の違和感が出現したのは。

まあ、痛風発作からの復帰ツーリングは、実家の志摩行きで親父や先祖の墓参りツーから始めるかな。

あれ?肝心の痛風発作の症状や経過がほとんど書かれていないね(^^ゞ。お得意の横道小道に逸れてしまった挙句、いつもの長文駄文だ(笑)。

言い訳がましいけど、病状なんてのは十人十色でまったく同じ経過をたどることなどない。今回の俺の回復期間にしても、今までの発作後の回復と比較して異常に長い。26年、30年、36年前までさかのぼるので、当時の回復期間を思い出せないというのが正直なところだ。痛みにしてももっと強かったような気もする。

今回病欠で仕事を1週間休んだ中で、健康の有り難さを再認識したことは当然として、自身の「生き方」についても考えさせられた。あらたに出会った著者(安保 徹)の生前の講演会動画も視聴したのだが、大いに共感できた。購入した著書全てをまだ読破できていないが、ゆっくり読んでいきたいと思う。

さて、もう今週1週間あれば疼痛も消失するだろう。来週末の『痛風からの復帰報告。実家の志摩へ墓参りツー』が楽しみだ。

かなりの長編になりましたが、ここまで読んで下さった方に感謝します。

えっ!?26年ぶりの痛風発作が出たんだけど…。 2020.3.28(土)」への4件のフィードバック

  1. 山でお会いする時はすこぶる元気、成人病とはほど遠いと思っていましたが、持病持ちでしたか、随分と大変でしたね。次回山行までには完治していることを祈ります。

    当方は本日大腸の内視鏡検査やってきました。今回はポリープも見つからず一安心。こういうことでもなければできない禁酒が一晩できました。

    ブログに触発されてメンナンスやってますよ、ブレーキ・シフターワイヤー類、LED電球、F二軸ブレーキアーチ、パッドの交換、とは言ってもママチャリ改造です。一応ジャックナイフできますねん。

    1. 春信さん、コメントありがとうございます。

      いやはや、とんでもない「久しぶり」でした。まさに青天のへきれきです。
      何といっても『26年ぶり』ですからね。もう『痛風』などという言葉は頭から消えかかっていましたからね(^^ゞ。

      昔は美食家がなる贅沢病などと言われていましたが、現代では『いつも忙しく動いて、体を休めることを知らない人。』が罹患し、決して贅沢病などではないそうです。
      調べてみると、徳川家康やナポレオン、ダーウィン、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ゲーテ、マルコポーロ、ルイ14世、ダンテ、ミケランジェロ、ヘブライ・ハン、アレクサンダー大王・・・等々(^^ゞ。
      また、スポーツ選手、特にハードな競技を専門としている人にも多いそうです。ラグビーや格闘技など。
      ヒトでなくとも、あのティラノサウルスの関節にも痛風の痕跡が残っていたとか(笑)。

      それはそうと、内視鏡検査の結果が陰性で何よりです。まだまだ林道を走れそうですね。

      私は今回の件でさらに身体に対して興味関心が湧き、糖質制限はもちろん継続しつつ、ファスティング(断食)に挑戦しようと考えています。

      19日(日)or 26日(日)の件は、また連絡いたします。

  2. おはようございます。
    あれまぁ、お若い時から痛風ですか。贅沢病とも言われますが。
    私の知人に痛風持ちがいまして、相当痛いらしいですね。
    年々、健康診断の結果が怖い年になりました。
    お互いに健康に気を付けていきましょうね。
    お大事に。では、今日も今から仕事します。
    プリン体には気を付けましょう!

    1. 服部さん、コメントありがとうございます。
      いやはや、まさかこんなインターバルを置いて出現するとは思ってもみませんでした(^^ゞ。
      糖質制限で体重が13㎏減り、唯一高かった中性脂肪も半減したので、もう痛風とは決別したのだと勝手に考えておりました。

      まあ、今回の件でさらに自身の身体について考える機会をもらったので、今度は「断食」に挑戦しようと目論んでおります。

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