『明日は命日だから墓参りにでも行ったらどうだ?』
お袋の言葉に後押しされ、先週末に続きローライダーS RIDEとなった。
「もう丸4年になるのか・・・」
志摩への道中、幾度となくこの一文が頭をよぎった。
6時45分、自宅を出発し、割と空いている名四国道(国道23号線)を南下。いつも通りのルートで松阪市内国道42号線沿いのローソンに8時30分到着し、買い出し&(-。-)y-゜゜゜。
先週末に引き続き、今日もちょっと冷えるぞ。それにしても今年の5月はどうなってるんだろうね。いつもならGWにはすでに汗ばんでいるのにね(;^_^A アセアセ・・・。
10時54分、お袋方の墓地に到着し、合掌。
11時02分、親父方の墓地下に到着し、坂を上って合掌。
両家に合掌し終えた後は親父方の実家に向かった。
昨年5月にたった一人で住んでいた叔父が亡くなり、空き家となってしまった家屋。やはり、たった1年でも住人がいなくなった家屋は見た目にも活気が無く、その息遣いが感じられない。
そう、朽ちていくのをただじっと待っているかのようで物悲しい。
幼い頃から年に2回、盆と正月(中学生からは盆だけになった)には必ず帰って来た場所。正月は専らお年玉回収(笑)だったが、夏は亡き叔父と釣りに行ったりウニやアワビを捕りに行った。夜は親戚同士で小銭を賭けて花札や株札で遊んでいた。
海女さんや漁業関係の仕事をしていたり、知り合いにそれらを生業にしていたりする人たちが多かったから、夏冬問わず毎食新鮮な魚介類が食卓に所狭しと並んでおり、朝からアワビの刺身なんてのはざらだった。
4年前の親父から始まり、幼いころからよくしてもらった叔父や叔母たちが次々と鬼籍に入っていく。この文章を書いている数時間前に、また一人叔父が亡くなったとの知らせがお袋に入った。
生物の宿命とはいえ、未だ死を当たり前のものとして受容できていない自分がいる。
俺もあと数十年後には確実に鬼籍に入るのだが、まだまだ自身に起こることなんだと感じることができないでいる。
30分程 coffee break し、親父の実家を後にする。今日は早めに帰宅しようかな。
いつものように御座経由パイパス回りで帰路に着こうかと考えていたのだが、和具集落まで来てふと思いついた。
定期船のりばに行ってみようか 🚢。
その後は親父も自家用車を所有し、毎盆には家族でマイカー帰省となった。
それにしても、ほぼ限界集落に近いんじゃないかな?
さあ、やっぱり今日は早めに帰宅しようか。
何だか今日は全体的に湿っぽくなってしまったが、たまにはこんな回もいいよね(;^ω^)/。
ということで、帰路は松阪ICから伊勢自動車道に乗り、無事帰宅となった。
自宅着 15時21分
走行距離 371.7km
15年前の2007(H19)年夏、麦崎灯台にて。次男3歳の頃。
おはようございます。
貴殿もご多忙のようでお疲れ様です。
ご出世されると会議だの従業員の愚痴聞き、金銭管理、書類の印鑑押し、などなどご苦労が多いと思います。
こちらは、新規がやたら最近多く、件数を減らしたくても減らせない状態です。
しかも、行政が、持ち件数について「なんだかんだ」と言ってきますし。
話しは変わりますが、志摩のお墓参り、お疲れ様でした。
先祖に対し、手を合わせるということが、今の社会では薄くなってきましたが、手を合わせるという感謝も気持ちは日本に伝わる文化のひとつで、
非常に大切な事であると思います。
以前、お話しさせて頂いたと思いますが、我父方の実家が寺院でして、仏と向き合う大切さを幼少時より教育されてきました。
今後も貴殿のご子息様にも、その気持ちが伝わり、今現在はだれのおかげで生きていられるのか、だれが見守ってくれているのか、その気持ちが伝わることを祈念致します。
偉そうにレスさせて頂きましたが、私、僧堂にて修行時には、廊下の雑巾がけが面倒で、そこらへんに立ってる塔婆に雑巾を巻き付けて一気に雑巾がけをいていた、悪僧でございます。
服部さん、コメントありがとうございます。
出世なんて言葉はそもそも私共の法人にはございませぬぞ(;^_^A
ただの飼い殺し状態ですね(笑)。
ただ、そろそろ卒業時期が迫ってきているように感じています。何だかんだとあぐらをかいて長居し過ぎましたね。
この日墓参りをしたと思ったら、今度は叔父が亡くなり、昨日(5/20(金))午前3時出発で志摩を往復してきました(;^_^A 。