まさかこんな所で平賀源内記念館に巡り合うとは思ってもみなかった。
こんな偶然ってあるのか?
【ここからの画像は「平賀源内先生旧邸」】
平賀源内が香川県出身であることは知っていたが、ここ讃岐市が出自とは知らなかった。息子たちとここ記念館に「いつかは行ってみたいね」と数年前に話していたことを思い出した。
しかも、前述のガーミンGPSの故障。なかなか復旧せずにコンビニstopを強いられたのだが、そのコンビニからの平賀源内記念館案内板遭遇だ。
「単なる偶然」と片付けてしまえばそれまでだが、ちょっと偶然が重なり過ぎやしないか?そもそも高松港に下り立った際、シェルパのガソリンが満タンであれば、高松中央ICから高松自動車道に乗っていた。つまり、国道11号線など走らず、下道で讃岐市には入っていないってことだ。
導かれるように讃岐街道に入っては行ったものの、最初「讃岐市青少年交流プラザ/図書館」に入ってしまい、中高生に混じりながら女性職員に尋ねてしまった。
平賀源内記念館はこちらでよろしかったですか?
そうすると職員さんが丁寧に教えてくれ、同プラザ前の讃岐街道まで出て教えてくれた。駐輪場で休んでいたおじさんにも「今日源内さん開いてるよな?」って。
記念館敷地内にシェルパを止めて館内に入ると、すぐに案内係の女性職員から挨拶を受ける。入場料を払い、一通り説明を受ける。
源内の大雑把な半生は知ってはいたが、杉田玄白と親友だったとは初耳だった。源内が獄中死した直後に遺体を引き取り、江戸に源内の墓を建てたのも玄白だったそうだ。
まだ時間が早いせいか、館内見学者は俺だけ。じっくり時間をかけて回り(ミニシアターも観た)、エレキテル体験の指南を職員さんから受けたり、記念撮影もお願いしたりした。
源内の生家がこの志度にあるということは、志度には同姓がかなり多いのかと聞いたところ、この辺りには源内家一軒のみとのことだった。四国でも大変珍しい苗字らしい。満を持して俺の苗字を明かすとかなり驚き、彼女の知る限り「初来館者です!」と話していた。
案内係の女性曰く、現在の七代目当主に以前聞いたところ、平賀家の出自は長野県らしいとのことだった。確かに数年前の東北ツーの帰路、長野県佐久市辺りを通った際、「平賀」という交差点を通ったことがある。
最後に高松港からここ記念館にたどり着くまでのエピソード(ガーミンGPS故障・復旧等)を説明すると・・
きっと先生に呼ばれたんですよ。
と微笑んでいた。
同館を出る際、彼女に「源内先生旧邸」も紹介されたので行ってみることにした。
旧邸でも案内係の女性に同様の話をしたところ、その女性もかなり驚かれ、
当主を呼んできますのでお話されますか!
とかなり興奮気味に建屋奥に入って行った(笑)。
奥から出てきた女性が残念そうに言うには、現在当主は会議に出席中で留守とのこと。ただ、あと30分もすれば戻るので待たれますか、と。話してみたいのは山々だったが、これから名古屋まで帰ることなどを告げ、丁重にお断りした。
それでも今度は「それなら名誉館長が近所に住んでいるのでお話されますか?」、と。身に過ぎて光栄ではあるが、こちらも丁重にお断りし、「今度子どもたちをつれて再訪しますので、その際はよろしくお願いいたします」、と返答させてもらった。
さて、源内先生記念館と旧邸で2時間弱を費やしてしまったので、すぐさま高松自動車道に乗ろうかとも考えたのだが、記念館の受付嬢に勧められた「大串半島」に寄り道することにした。
ちと暑いけど、快晴の空の下、心地よいRideで大串半島先端へ到達する。途上石切り場へのチョイダートも駆け上がってみた。
「四国から瀬戸内海が一番綺麗に見える半島ですよ」、と前述の記念館の受付嬢から言われてやって来たのだが、確かに穏やかな瀬戸内が見渡せるいい場所だ。
もっとゆっくりしていたかったが、頭の中は「日没前に名古屋へ帰る」一色だったので、写真だけ撮って岬をあとにする。
国道に戻るまで、割とセコセコした道を走破する。
国道11号線に出たら、あとは高松自動車道にのるだけだ。
あとはいつもの伊勢湾岸道弥富木曽岬ICまでずっと高速人だ。まだまだ距離はあるけど、休み休みのトコトコシェルパRideで行こう🏍🏍🏍
地道に距離を稼いでいく。
往路でも休憩した淡路島のPAで(-。-)y-゜゜゜する。
神戸を過ぎ、新名神に合流。これまた往路で休憩したPAにIN。
2時間20分で大阪だ🏍🏍🏍
ここからは一気に伊勢湾岸道の長島PAまで突っ走るか🏍🏍🏍
これまた2時間Rideでいつもの長島PA着だ。ここで今回のツーリング最後の休憩となる。
4時間強の高速Rideだったけど、途上のPAでGLINEをチェックすると、一人また一人と「(自宅に)着きました。」とのメッセージが入って来ていた。結局俺が最後のゴールになるな。
19時11分、無事3泊4日のロンツーから帰着。
到着後すぐにGLINEで帰着を皆に報告する。家族にも「無事で何より」と迎えられ、今回のロンツーに幕が下ろされた。
1年3ヵ月の時を経て敢行されたアイランドツアーだったけど、皆元気ハツラツで何よりだった。中でも岡山Aは約20年ぶり再会したが、見た目は多少老けても中身は「あの時」のままだった。
今までの人生を振り返ればたった4年間という短い時間、築30年のオンボロ大学寮で同じ釜の飯を食らい、苦楽を共にした仲間たち。いくら時が過ぎようとも、互いの人生の中でかけがえのない存在であり続けることは疑う余地もない。
※2日目、3日目はほぼ走行していないので割愛(撮影を忘れていた?)する。
全走行距離 1,038km
【小豆島ツーを終えて】
実を言うと、今回のツアーに出発する前まで、連中に「転職相談」をしようと考えていた。かなり前から今の仕事に飽き飽きしており、すぐにでも退職したい衝動に駆られる毎日だったからだ。
しかし、小豆島に向けてシェルパを走らせていると、徐々にその「転職願望」が縮小していった。
剣山スーパー林道のガレダートを走行中など、何も考えることができなかった。
専務取締役をはじめ、企業の重要ポストに就いている連中だから、俺の「転職先」などすぐに紹介はしてくれるだろう。だがしかし、シェルパで高速道路や一般道、はたまた林道を走行中、誰が発した言葉かは分からないが、頭の中に響いてきた。
そんなん己で解決せんかい!
そうだ。まずは自らが汗をかかずして前には進めない。
いつでも相談できる仲間はいるが、まずは己が行動すること。
この齢になるまで、寮友生の連中だって何度も悩んだはずだ。このままでいいのか?これからどうするのか?賢い連中だから、その都度相談したり、助言を受けたりしただろうが、結局最終的な決断は自分自身だっただろう。
毎晩連中と馬鹿騒ぎしながらも、ふと我に返る瞬間が何度もあり、その都度自分自身に言い聞かせた。
相談するのは止めといて正解だ。
まずは自分自身で行動しよう。
今までだってそうしてきたじゃないか。
それが、俺が俺たる所以だ。
来年10月の淡路島ツアーも笑って参加し、また連中と馬鹿騒ぎするぞぉ~ヽ(^o^)丿